数学の歴史を古代ギリシャからたどりながら"数学の不条理な有効性"について考察していくノンフィクション。数学は発見か?それとも発明なのか?
数学の話だけど、数式は一切出てこないので数学の歴史と哲学性に興味がある文系の人にもおすすめできる本だったと思う。
数学史 #
数学をずっと体系的に学んできたので、こうやって数学の発展の歴史をちゃんと辿るって経験はあまりなかったかも。新鮮で面白かった。
たとえば、中学で当然のように習うx, yなどの変数や直交座標系も1600年代にデカルトが生み出したもので、意外と最近でびびる。 今だと当たり前に使ってるけど当時は当たり前じゃなかったんだな…(当たり前)
特にニュートンはやばい、やばすぎる。ニュートンがとんでもない天才だったというのを知れたのがいちばんの収穫だったかもしれない。似たようなアイデアを思いついた人は他にもいたらしいけど、アイデアだけで終わらせずに数学的に定式化するまで徹底的に考え抜いたのがすごい。なるほど。
ニュートンの偉大な点とは、全ての法則を結びつけて統一理論を築き上げてしまう類稀なる才能、そして自身の理論を数学的に証明しようというこだわりにあったと言えるだろう
いままでは万有引力の発見すげーくらいの認識だったけど、当時を取り巻く環境や時代背景を知るとその凄さがよりわかるんだなあ。
19世紀の非ユークリッド幾何学の登場で、人間の認識と相性の良かったユークリッド幾何学は世界の記述に不完全であることがわかり、今まで信じられてきた数学信仰が崩れたって流れは面白い。
デカルトの思想は人間の感覚を信用しすぎているって話はなんか別の本で読んだっけ。
そもそも、人間は感覚器官から電気信号で送られたものを脳で処理して世界を知覚しているわけで、本物の世界を認識してるわけではないよな、という。 (たとえば赤外線や紫外線を知覚できないし)
数学の不条理な有効性 #
数学の不条理な有効性、数学が現実の物質世界を記述するのになぜこれほどまでに威力を発揮するのか?という謎は昔から面白いと思っている。哲学の領域だから明確な答えがあるわけでもないけど。
そういう意味で、最後のラッセルの一節はよかった。
問いに対して明確な回答を得るために哲学を学ぶのではない。(中略)むしろ問いそのものを目的として哲学を学ぶのである
自分の考えとしては、数学は確かに現実世界を表現するのにとても便利な道具だけど、全ての数学が有用なわけではなくて、その一部が物理学などに有効活用されている、という認識なので発明に近いんじゃないかなあと思っている。発明と発見どっちもあるなあと言ういちばん無難な立場。
学部生のとき、教授に「大学数学はどの程度深入りすべきか?ちゃんと定理の証明まで理解するべきか?」という質問をしたことがある。(これは物理学専攻の人はみんなぶち当たる悩みだと思う)
返ってきた答えとしては「物理屋にとって数学は道具。計算できればいいので、必要になった時に学べばいいよ」という内容だった。
まあ物理学の対象はあくまで現実の自然現象そのものであって、それが自然科学たる所以だよなあ。計算で近似しまくってるし。
逆に、数学は実は自然科学ではないのにもかかわらず<不条理な有効性>があるためにいかにも自然科学っぽい顔をしてるのが面白い。
余談 #
SFだけどイーガンはかなり「数学は発見」的な立場だと思う。 ディアスポラの真理鉱山なんてもろにそう。
あと、マックス・テグマークの<数学的宇宙仮説>(数学的に存在する全ての構造は物理的にもまた存在する)の立場でSFを書いていたりもする。直交三部作なんてその極地だ。(直交三部作、ハードすぎてまだ読めてない…)
イーガンは数学科出身だから、そういう思想なのは納得できる。そういったアイデアをハードSFとして昇華できるのは唯一無二。
と結局イーガンで着地する。こいついっつもイーガンの話してんな…