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『万物理論』解説的メモ

扱うトピック・ガジェットが多岐にわたり、それぞれが絡み合っている。 まさにうんちくマシマシ・思想つよめのラーメン二郎的SF小説といえる。 全部は無理なのでメインストーリーに絞って自分の理解をメモ。

以下、ネタバレ全開です。

混合化(アレフ)とは何だったのか
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一言でいうとセカイ系。エヴァ旧劇の『air/まごころを、君に』とかかなり近いかも。 <基石>によって宇宙が説明され、世界が生じるという人間宇宙論(AC)。 カルト宗教が提唱するトンデモ理論が実は本当だった!!

モサラが残した論文をカスパー(人工知能)の力を借りて読むことで基石になったアンドルーは「他人の精神は説明できない(他者理解は錯覚)」ことに思い至り、みんなが基石になることで宇宙が存続する。

『一つの精神が、それひとつきりで、別の精神を説明することで存在させられるものだろうか?』

答えは否。これを説明しなかった(できなかった)ためにカスパーは基石になれなかった。

そして、宇宙の中心から自分を引き剥がすためにぼくがしなくてはならないのはーー宇宙の解体を防ぐためにぼくがしなくてはならないのはーー幻想(ゆめ)の最後のひとつを捨て去ることだけだった

幻想(ゆめ)とは他者は理解可能であり、愛や共感は自己欺瞞ではないという希望のこと。

みんなが基石となった混合化以降の世界では、愛は自己欺瞞という自閉的な事実をみんな共有しており、これに絶望した人たちが大量に(900万人)自殺している。

また、エピローグでは他者理解を司る"ラマント野"の切除が常態化していることが示唆されている。

序章のアンドルーが今までの恋愛でことごとく失敗し続けていたこと、愛は自己欺瞞と主張する自発的自閉症協会がオチに関わってくるとは。

ラストの混合化シーン、主人公の”基盤も固定点も持たないために立ち泳ぎしている状態”が人工島ステートレスに重なり、すべてが収束していく強烈なカタルシスがある。

人間宇宙論(AC)
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ビッグバンを発端として過去から未来へと流れる時間軸の因果で宇宙が生まれたのではなく、<基石>と呼ばれる人間によって"宇宙が説明される"ことでビッグバンまでさかのぼり、宇宙が生じるというトンデモ理論。 宇宙の住人が説明することでその宇宙が存在するという超やばいトートロジー。

モサラの理論
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ニュートンの逆二乗則の発見のように、データ化した現実の事象を手がかりに理論を組み立てることは純粋数学に帰着される。

現実世界の事象を網羅・詳細にデータ化し、結果を完全に予測する理論の構築 = 世界を完全に記述する究極の理論となり、物理的実体と情報の境界がなくなる(物理学と情報理論の混合化)

イメージとしては、机上の理論に現実のデータを大量に教え込ませて(組み込んで)情報として現実世界を完全再現する感じか。

人間宇宙論によりモサラの論文が宇宙の設計図になり、それを理解し説明した人間が基石となる。 初期の長編はどれも「生命体による観測で生じる世界」に重きを置いてるのは時代を感じる。

万物理論も言ってしまえば純粋数学から宇宙が生まれるという思想なので、やっぱりイーガンは数学畑の人間だなあ、と思う。

ディストレスの正体
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ただ一人の<基石>が他者を説明しようとしたときに生じる、究極の孤独による唯我論的狂気。 混合化の予兆で人々にディストレスが起こっていた。

眼の前にいる他者にして論理的には遠い親戚に違いない人物を、その宇宙論の統一された体系に編みこもうとしているかのように(p477)

混合化が他者の精神の説明を必要とするディストレス患者の伏線。 みんなが基石になることでこの狂気を回避。

人間宇宙論者の派閥
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  • 主流派・・・基石の最有力候補であるモサラを守り、混合化を見守る
  • 穏健派・・・モサラのTOEはアレフ後に物理学の基盤を崩し、未来が存在しなくなるとしてモサラの妨害・抹殺を目論む(穏健…?)。
  • 過激派・・・いかなるTOEの存在も認めない。宇宙の無限の可能性のため、基石になりうる人間は全員抹殺しようとしている(こわい)

余談
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タイトル
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『万物理論』というタイトルでけっこう損してると思う(原題は"Distress")。このタイトルからは難解な物理学メインの話だと思って敬遠してしまうのでは。たしかに理系うんちくは多い。

しかし実際のところはバリバリの社会派SFで、無政府主義な人工島を舞台にした未来社会の政治・宗教・ジェンダーを描くことに焦点を当てている。

TOE(万物理論)そのものはストーリー全体を通して言及されるものではあるが、現実の物理学での文脈で使われる統一理論(自然界の4つの力の統一)とは別物だし、疑似科学をもとにしたカルト宗教を描くための道具としての側面が強い気がする。

途中から万物理論が人間宇宙論にすり替わるけど、『人間宇宙論』ってタイトルだとネタバレが過ぎるか。

根幹としては「他者理解」や「ひとくくりにされることへの抵抗(多様性)」の話をしているので、いうほど『万物理論』か?という気がしている。 大きなHワードの「人間性(Humanity)」とか? いろいろありすぎて難しいね。

所感
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小説としてのメインストーリー・ギミックはそこまでだが、サブ要素がとにかく好きな小説。 サイバーパンクなガジェット群や、人工島<ステートレス>の雰囲気も最高。

自発的自閉症協会のロークや、医者マイクルの「信仰は足が悪くないのに松葉杖にすがって生きてるようなもの」とか、政治思想つよめな島の住人マンローとか、思想が強いキャラクターとの印象的な会話シーンが多い。

SFというジャンルには科学技術に焦点を当てた作品こそ多いが、政治や社会、宗教にもここまでの焦点を当てた作品はあまりないのでは。

メインの他者理解でいうと、まあ確かに人間って根本的に理解不能だよな〜と思う派。でも、みんな自閉症になってめでたしめでたしってオチはちょっと受け入れがたいものがある… 真実がそうだったからって、別に幻想(ゆめ)はみてもよくないか…?

汎性アキリの力強い生き様と懐の深さに萌える。作中で一番好きなキャラ。 逆に主人公のアンドルーはへっぽこすぎる。ジャーナリズムに対して真摯なのが唯一の救いか。

無知カルト、昔は科学が進歩すれば社会全体の知力が上がってカルト宗教なんて無くなると思っていたが、現実の陰謀論とかをみるに未来も無くなることはないのだろうな。

小ネタ
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もっと新奇で空想的な発想ーー宇宙はセル・オートマトンだとか、実態のない純粋数学の偶然の副産物だとか、それはランダムな数字の雲なのだが、そのあり得る状態の一つがたまたま意識を持つ観察者を含んでいたという事実のおかげで形を持つようになっただけだとか(p259)

順列都市のセルフパロディ?