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『フラニーとズーイ』感想

フラニーに全く共感できなかった。 自他の肥大化したエゴの悩み、自分にもそういう時期があったはずなんだけどまったく思い出せない。

身の回りに偉そうに知識人ぶってた人がいた記憶もほとんどない。絶対いたはずなんだけど… みんな知的好奇心が強いだけで謙虚だった気がするなあ。(都合よく改ざんされた記憶?) 理学部なんてオタクの集まりだからキラキラ系もほぼいなかったし。

フラニーは学問そのものが欺瞞と否定しだすけど、理系分野は正しさが一定の水準で担保されてるからそういう発想を持ったこともない。アインシュタインを批判するやつなんていないしね。 科学が発展しすぎて、学部で学ぶ内容が400~100年前の出来事だったりするのも謙虚にならざるを得ないんだよなー。そもそも巨人の肩に乗るのがめちゃめちゃ難しい。

スノッブに対して否定的な感情も今やあまりない気がする。自然科学とか技術畑だとどれだけ偉そうに知ったかぶっても結局実力が見えちゃうし、それはそれとして知識は得るものがあるので感情とは切り離せる。

フラニーとズーイは神童だし、イェール大学?のエリートの話だからプライド高かったりしていろいろあるんだろうなあ。

とにかく、フラニーの悩みは文系大学生あるあるっぽいけど自分には全然わからなかった。もしかして、ぼく自身がレーンみたいなスノッブだからわからないのか???(そうであってほしくない…)

そしてズーイ。最初はユーモアに富んでて楽しいやつだなあと思ってたけど、ずっと講釈垂れ流しててだんだん嫌な奴だな…となってしまった。 ズーイもテレビ番組の呪い(『ワイズ・チャイルド』コンプレックス)にかかってるだけあって、フラニーを説得することによって自分を正当化というか、自身が気持ちよくなるためにやってるように感じてしまった。 人の感想をみると兄弟愛と捉える人がほとんどだからひねくれてるかも。人格破綻者ですまん… 文学作品を読むと自分の共感能力の低さにびっくりするし、人間って全然わからない宇宙人だな…と思う。 パターン認識で対人関係うまくやってるだけで何もわからない。雰囲気で社会をやっている。

サリンジャーは不安定な登場人物が出てくるせいか、読んでるこっちまで不安定になる魔力があるような。多感な10代のときに読んでると全然ちがったんだろうなーと想像する。

内容は全然わからなかったけど、文章の視覚的なわかりやすさ、リズミカルな文体のすごさはなんとなくわかったので読めてよかった。