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『幻惑の死と使途』感想

久しぶりに犀川先生成分を摂取したくて10年ぶりの再読。結果としては大満足だった。

犀川先生の哲学チックな思考だけでなく、やたらと事件に首を突っ込みたがる西之園萌絵や初登場の健気な加部谷恵美をみれて、微笑ましい気持ちになれた。 そんな時代もありましたね〜。いっぽう今では…(XXシリーズ、この先どうなるんだろうね。)

S&Mシリーズ、幼少期に両親を飛行機事故で失ったトラウマから自傷的に殺人事件に首を突っ込むようになってしまった西之園萌絵を、これまた「現実を捨てたい」という破滅的な思想をもった犀川先生がやれやれ言いながら心配して捜査に協力する話だったなあ…ということをしみじみと思い出した。

本作は萌絵の主役感が強く、(犀川先生に先を越されていたとはいえ)自力でたどり着いた推理を披露する。自身の感情の変化に気づくところも西之園萌絵の物語を語る上で重要な巻になっていた。 この辺がGシリーズでは消化・昇華されて「殺人事件なんて他人の日常にとっては小事」というスタンスになっていくのが感慨深いんよね。「ηなのに夢のよう」も再読しないとな。

これがシリーズ6作目だったと思うが、もう犀川先生と萌絵は婚約してたんだね。やたらいちゃいちゃ会話が多かった。約束すっぽかされて怒ってる萌絵に「あそう…」って返してる犀川先生に笑ってしまった。絶対現実だと許されないやつ。あと、「君に理解できるように話せないのは、僕の能力不足に起因している」も結構な煽りだと思ったけど、先生と生徒という尊敬の関係だから許されてる感じある。

今まで再読してたのは「すべてがFになる」「笑わない数学者」などの初期作だったので、二人の関係性の変化に関するイメージが希薄だった。初読時はとにかく犀川先生の思考が好きで読んでた気がする。 腰を据えてシリーズごと再読するべきなんだろうなあ。たぶん読み方が全然違ってくると思う。 最近、再読したい小説が多すぎて困ってるのが正直なところ。

一番印象に残ったセリフ

「そうじゃないんだ。何かに気がついて、新しい世界が見えたりするたびに、違うところも見えてくる。自分自身も見えてくるんだ。面白いと思ったり、なにかに感動したりするたびに、同じ分だけ、全然関係ない他のことにも気がつく。これは、どこかでバランスを取ろうとするのかもしれないね。たとえば合理的なことを一つ知ると、感情的なことが一つ理解できる。どうも、そういうふうに人間はできてるみたいだ」

「物理の難しい法則を理解したとき、森の中を散歩したくなる。そうすると、もう、いつもの森と違うんだよ。それが、学問の本当の目的なんだ。人間だけに、それができる。」

やっぱり犀川先生の言葉は染みますね… じっさい、全然関係ないと思っていた物事や経験がつながっていくのが人生面白いな、と思うし、新しい世界を見たいからSFを読んだり色々なことを学んでいる節がある。

肝心のミステリとしては、 “すべてのものには名前がある"という抽象的な話が事件に密接に絡んでたのは本当に見事だった。

「そう、人間はシンボルによって思考する」犀川は微笑んだ。「言葉や文字で思考するのではない。言葉も文字も、シンボルの一部でしかない」

有里匠幻が、「有里匠幻」という"名前"のために、自らの矛盾を消去するために起こした殺人。 奇術師としての矜持と狂気を感じる、凄まじい物語だった。

「どんな法律も人格をさばくことはできない。名前を裁くんだよ」

初読時は、オチが「笑わない数学者」の天王寺博士にかぶるところがあって微妙だと思っていた記憶がある。 でも今回再読してみて、

  • 抽象的な会話と事件のシンクロ&鮮やかなタイトル回収
  • 奇術師というエンタメ度の高い派手な題材
  • 西之園萌絵の成長物語

を考えると、実はシリーズ屈指の傑作なのでは?と思った。 こういう新しい発見や感覚の変化があるから再読はおもしろい。