家父長制の暴力への抵抗とか都会の消費社会に摩耗する精神とか、動物性と植物性、肉体という牢獄からの解放… いろいろあると思うが、大まかには"わかり合えない家族"の話だととらえた。
菜食主義者を読んだあと、原形とされる短編「私の女の実」も読んだ。どちらも植物になりたがる女性というのは共通しているが、私の女の実のほうがストレートに凝縮されていて好み。幻想的な収束が美しいし、何より救いがある。(決して明るいとは言えないが)
対して菜食主義者はすさまじい。超越的な存在であるヨンヘが欲にまみれた他者の視線を通して描かれる生々しさが心をえぐってくる。ひたすら現実と地続きでドロドロしているが、そこに力強さや生への執着を感じるのも確か。読後感が全然違う。どうも、菜食主義者を書いていたときは精神状態がかなり悪かったらしい。
ハン・ガンの静かで透き通った文体で描かれる、強烈な生々しさのギャップ。『すべての、白いものたちの』の、血のように白くない生臭いものを登場させることで対比的に白く美しいものを際立たせる手法を思い出した。
今まで文体というものをあまり意識したことがなかったけど、ハン・ガンの文体はかなり好み。振り返ってみると、客観性のある描写と平易で淡々とした文章が好きなんだろうなあと思う。あと会話が少ないよね。会話より手紙やモノローグで語られることが多い印象で、あとはひたすら地の文が多い。
植物になるという狂気的な執着にとらわれたヨンへ、まったく迷いがなくて人間として揺るがない意志の強さは感じる。といっても、何かの拍子でポッキリ折れてしまいそうな脆さを持つ強さ。まあ、狂うというのはそういうことなんだろうけど。
ヨンヘ自身はほとんど語らず、ヨンヘのことを理解できない登場人物たちに語らせることで、人間とは遠い存在になっていくヨンヘの超越性が際立っている。全体的に漂う、たとえ家族であっても結局は他人でしかないという孤独感。
姉の死にゆくヨンヘに対する羨望と、今まで自分の人生を生きてこなかったという絶望があまりにもつらい。それでも子供のために生きていかなければならない。まさに"慰めもなく目を見開き、底まで降りていく"話だ。
「菜食主義者」も「私の女の実」も夫が不理解であるところは同じだが、「私の女の実」の方は妻しか家族がいない孤独からの逃避だとしても、植物になっていく妻のことを静かに受け入れて最後まで面倒を見ているのがよかった。
そういえば最近、円城塔+田辺井蛙『読書で離婚を考えた』を読んだが、これくらいお互いを"わかりあえないもの"として理解して付き合っている関係性と距離感がいいなーと思った。なんだかんだ仲がいいのがすごく伝わってきてホッコリした。
なぜか最近は人と人がわかりあえない話ばかり読んでいる気がしていて、世間の流行りを感じる。今読んでるキム・チョヨプ『この世界からはでていくけれど』もそう。(これも良作ぞろいの短編集ではある)マイノリティに寄り添うテーマだとそういう流れになるのはまあ仕方ないか。
分かり合えない話は昔から好きなんだけど、このテーマに関しては自分の中で明確な結論が出ているのもあっておなかいっぱいな気もしている。